「正勝吾勝勝速日」という言葉があります。
この言葉についてあるいはこの言葉を使われて実に多くの教えを合気道開祖は残してくださっています。

ということはこの言葉の意味を理解すれば合気道についての理解も当然深まるはずでしょう。
しかし、神道的用語というだけで多くの方々はむつかしいと言って敬遠してきたのですね。そんなことが書いてある本も見ただけで難しそうなので、深く読み込む人はやはり少ないはずです。
難しいのだから一度や二度読んだくらいでわかるわけはありません。何度も何度も繰り返し繰り返し読んで、そして読むたびに新しい気づきを得て、気づきを得たことによって、自己の進歩にも気づくわけです。なんでも、自分のレベル以上のものは理解出来ないわけで、何か新しいことがわかったということはやはり何らかのレベルアップをしたということでしょう。
ま、それに安心して実地での確認を怠ると、あとでとんでもない勘違いだったということもありますから、要注意です。
今回は「正勝吾勝勝速日」について、特別に開祖のお話からの引用をたくさんご紹介しましょう。

合気道は魂の学びである。魂魄阿吽の呼吸である。また、合気道は宇宙の営みの御姿、御振舞いの万有万神の条理を明示する大律法である。すべては一元の本より発しているが、一元は精神の本と物体の本を生み出している。それは複雑微妙なる法則をつくっている。それが全大宇宙の御姿、御振舞いの営みと宇宙万有に生命と身体を与えている。それが生成化育の大道を歩んでいるのである。

我々は正勝、吾勝、勝速日の精神をもって、天の運化を腹中に胎蔵して宇宙と同化、そして宇宙の内外の魂を育成して、かつ五体のひびきをもってすべて清浄に融通無碍の緒結びをして、宇宙世界の一元の本と、人の一元の本を知り、同根の意義を究めて、宇宙の中心と正勝、吾勝、勝速日を誤たず、武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない。

合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、『我はすなわち宇宙』なのである。そこには速いとか、遅いとかいう、時間の長さが存在しないのである。この時間を超越した速さを、正勝、吾勝、勝速日という。正勝、吾勝、勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することにある。

真の武は、正勝、吾勝、勝速日であるから、いかなる場合にも絶対不敗である。すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己れの心の中の『争う心』に打ち勝つことである。己れに与えられた使命を成しとげることである。

最も必要な事柄は、正勝、吾勝、勝速日の御事に神ならわねばならない。正勝は屈せぬこと、吾勝はたゆまぬこと、勝速日は勝利栄光をいう。正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアガツカツハヤヒアメノオシホミミノミコト)とは大きな、そしてすぐれたお方の義。合気の守護神は、天の村雲九鬼さむはら竜王で世界最高の徳である。

また、武は技と光を結ぶことに力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるのであります。この中心は腹であります。腹がガッチリしていれば、心は正勝、吾勝に精進できます。

左足は豊雲野神(トヨクモノノカミ)でありますから、これが千変万化の無量無限、神変、神秘を表すことになります。この意義をもととして全てに活用するのであります。また右足は国之常立神(クニノトコタチノカミ)として動かしてはなりません。すべての気を握るのは、この右足国之常立であります。
魄を脱して魂に入れば、
左は正勝―豊雲野神(男神)
右は吾勝―国之常立神(女神)
勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します。

左はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります。武産の生巣日(イクムスビ)、技正勝であります。魂の比礼(ヒレ)振りが起こったら左が自在に活躍します。左で活殺を握り、右で止めをさす。
これが左の神業の意義であります。

合気道は、人に勝たんがためならず、争いに勝たんがためならず、闘わずして勝つにあらず。無抵抗主義にして、自己に与えられたる天の使命に、自己の使命が打ち勝つことである。その修行の初めにあたり、正勝、吾勝、勝速日の道程から、ありのままに天地の運化へ進むことである。自己の善、また正しさを知り、善や正しさを知らんまで修行せねばならぬのである。

△○とはイクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビのことで、正勝吾勝勝速日のことであります。これを霊的に見ますと、△奇魂、荒魂 ○和魂 幸魂であり、これを物質的に見ますと、△天・火 ○水 地であります。

合気道は松、竹、梅の三つの気によって、すべてがでてきます。これは一口にいって、生産霊、足産霊、玉留産霊と申し上げております。松、竹、梅の梅は乾(イヌイ)でありまして、法を聞くところ、つまり教えであります。天の浮橋のことであります。これはちょうど梅は三角であります。それで松は表裏のないところ、これを勝速日といいまして、松の教えは弥勒の教えです。本当の大神さまの「ス」の現われであります。「ス」の元の大根霊で、すまわち大神さまの御心、御姿の現われであります。また、松というのは四角を意味しております。

どうでしょう、何のことかよくわかりましたか?
もちろん多くの方々が「わけわかんない」状態ではないかと思います。
開祖の内弟子の方々も開祖のお話を聞くのは大変辛かった眠かったなどと仰られていますよね。その日の稽古の時間のほとんどがこのようなお話であった日もざらにあったということですが、これでもここにご紹介したものは、まだ比較的わかりやすい言葉で話されたものなのです。

まあ、お好きな方はいろんな神道や宗教の本で勉強してそれぞれの意味に迫ればよいと思いますが、僕はそんなことはあまり熱心に勧めません。なぜならば、僕の塾の方針は上記のようなお話を身体をもって体得していただくという方針だからです。
表面上の意味はちょっと勉強すれば簡単にわかるでしょう。しかし合気道の修行者は学者になるわけではない。その教えを日常において体現出来なくては意味がないのです。
それでも多くの方が正勝吾勝勝速日について勉強しておられ、しっかりしたご自分なりの解釈をされていたようですが、この教えを「精神的な」ものとして捉えておられるようで、僕が普段稽古でやっている技として説明すると驚く方もおられます。

合気道の教えはけして精神だけのもの、あるいは肉体だけのものと区別して教えているようなものは何もない。
すべて精神と肉体がひとつになってその上での教えです。頭でわかっても身体でわからないと意味がないし、身体が動いたようでもその精神がわかってないと、正しい動きではありません。

以上のことを踏まえて、この機会にもう一度皆さんの合気道への取り組み方を、振り返ってみてはいかがでしょうか。
開祖は「みかえる」ということも仰っていました。「見返る」・「身変える」そしてきっとあの大天使「ミカエル」の名も頭に描いておられたことでしょう。開祖ってそういうお方だったと思います。

「三元」とは開祖のお話にもありますように、「イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビ」であり、「△○口」「梅竹松」などで表されていますが、みんな一緒のことです。もちろん「正勝、吾勝、勝速日」のことでもあります。だから合気道の教えは実は単純なのです。
僕はこの「正勝吾勝勝速日」をよく使いますが、「入身転換反射」とも教えています。
ですから「おむすび会」では、入身転換反射の道を合気道として、まずそのひとつひとつをしっかり理解して、そして日常でも応用して使えるようになっていただくための、まさに実践合気道の稽古をいたしております。

正勝吾勝勝速日
http://www.youtube.com/watch?v=vqUSTMT5-Ak