合気道は開祖である翁先生が宗教家としての側面も持っておられたことから、多分に宗教的だと思われています。
この僕もその宗教性ゆえに合気道に惹かれたのです。

さて、日本における「神」とはいったいなんのことでしょうか。
僕は「天地」「陰陽」「火水」等、相反するものが結び合い、合一した形が「カミ」と呼ばれていると思うのです。「カミ」に対する解釈の仕方は人それぞれでよいと思います。
だからこそ、人が発した言葉のその人が感じている本来の意味を知らずして、安易な批判をするものではないと考えています。
日本が主権在民なのは、国民全員が「カミ」だからなのです。昔からわが国は主権在民の国だったのです。
「唯一の神」を信じ、それ以外のものを排除する宗教から発展してきた現代の多くの思想は、もともとわが国の風土にはなじまないんですよ。
明治以降は侵略主義の西洋に対抗するため、西洋の文明文化を取り入れざるを得なくなった仕方なしの選択だったのです。
あの時代が日本としては異常な時代で、それが今に繋がっているのです。

天皇家は日本の中心として長い間わが国に存在しました。
しかし、歴史を振り返ってみて、その中心が大きな力を持った時期などほんの少しでしかないことに気づきませんか。
中心なんてものは周りがあるから存在するもので、周りがなければ意味がないのです。でも、中心というものがなければ、まとまりというものがなくなり、各自てんでバラバラな方向に行ってしまってやがて崩壊してしまうのです。
ものごとには必ず中心が必要です。中心さえしっかりと存在すれば非常に強いんです。中心そのものは存在するだけで力なんか持たなくてもいいのです。
天皇を中心に据えて国民全部が一丸となっていた、この日本の「国体」こそが欧米のもっとも脅威とするところであり、日本の死守すべきものであったのです。
終戦当時、この国体を一挙に破壊してしまうことは、連合軍としても難しいと判断したのでしょう。よって搦手から国体を崩すべくさまざまな攻撃を仕掛けてきました。
その結果見事に現在のような秩序もまとまりもない国家が出来たのですね。
今の日本になんのまとまりがあるというのでしょうか。
中心というのは権力ではなく、基準であり方向性をしめすだけの役割でいいのです。

明治以降の国家神道は、それまでの神仏習合を断ち切り、最終的には国の進路を大きく損なうことになりました。国家神道などという、勝手に作り上げられた宗教は、本来の神道と区別すべきです。
本来の神道は全く宗教的なものではなく、むしろ道徳や習慣や文化といえるものです。

またわが国では、政教分離ということがやかましく言われてますが、政教分離ってそんなにすばらしいことでしょうか。完全に政教分離がなされている国家の名前を思い起こしていただきたい。そしてその国家がどれほどまともな国家なのかよくよく考えていただきたい。

もちろん僕は今更、天皇親政なんてものは望んではいません。
しかし非常事態というものはあるのです。先の戦争で昭和天皇がいらっしゃらなければ、あの日の終戦はなかったというのは現実の話だと思います。

さて、この問題は合気道を修行される方々にとって、非常に関わりのある問題です。
そう、「中心」のお話です。
自己の中心とはなんであるか。中心の役割とはなんであるか。そして合気道の中心とはなんであるか。そして自分はどうあるべきか。

この機会にいろいろ考えてみられてもよいのではないでしょうか。