他流派や他武道他武術の人たちと手を合わせると、そこの道場や流派や武道武術の考え方が、はっきりと見えてきます。
手を合わせる前に情報などがあると、その情報の確認ということになる。
今や世の中には、書籍や雑誌やネットなどで大量の情報が流れています。
それらをよく見てる人たちは、確かによくものを知ってます。
しかし、そのよく知ってる人たちと実際に手を合わせてみると、「なんじゃこりゃ?」ということが多いです。
ネットで小難しい言葉を書いてるだけの人なら、やっぱりこんなものかとも思いますが、色んな技術本やたくさん書いてビデオなども出してるような人のお弟子とかが「なんじゃこりゃ?」レベルなら、その師匠の実力を疑わざるを得ないですね。

ある時体験者が来て稽古をした中で少し「中心を取る」ということをやりました。
中心を取るなどという言葉は、今や武道武術界では当たり前にほとんどの人が知ってる言葉でしょうが、実体験として本当に中心を取られたことのある人がどれだけいるでしょうか?

考え方の違い
http://www.youtube.com/watch?list=PLrLCtjc21ITxP7jspb6S1btmkraJ8Qq9u&v=IKHgi8c2JX0

中心を取られたら、取ったほうは何でも出来て、取られたほうは何にも出来ない。
そういうのが本当の中心を取ることです。
動けば、斬られる、殴られる、蹴られる、投げられる、だから本当に中心を取られたことがあり、その恐さを知ってる者は下手に動かない。
中心を取られたままでジタバタする人は、本当に中心を取られた恐さを知らない人であり、師匠からその恐さを教えられてない人でしょう。
また、その師匠が本当の中心を取れない人である可能性もあるということでもあります。
もちろん、弟子や生徒が師匠の言うこととちっとも理解しようとせず稽古もせず、という場合も多いことでしょう。
しかし、そうそう好意的に見てくれる人も少ないですね。

合気道はこの「中心を取る」ことが出来てから始まる道です。
一教=入身、二教=転換、三教=入身転換、四教=反射というのが当方の合気道であり、三教=入身転換こそが完全に中心を取った状態であり合気です。
そして中心を取ること即ち、全体を取ることなのです。
三教=入身転換が出来なきゃ次の四教=反射に行けない。つまり、中心が取れなきゃ反射に行かない。
反射をやらなきゃ合気道でないのです。

また、ある打撃系武道を指導してる人から、
「相手が手も足も出なくなる中心を取るような感覚は、自分たちが今やってる練習の先にあるのか?」
と質問を受けました。僕は、
「必要が無いから無いでしょう」
と答えました。
中心を取る必要があるのは、一撃必殺の攻撃が彼我にあるからです。
ポイントの取り合いや判定による勝ち負けがあるような競技スポーツでは、中心を取り合う必要性が少ないです。
むしろ互いに中心を外して、ガンガン打ち合い蹴り合えばよいでしょう。
時間無制限一本勝負のような競技なら必要も出て来ると思いますが、これから先、そんな競技は産まれないんじゃないでしょうか。