僕が合気道の稽古にビデオカメラを使うようになったのは、合気道を始めて1年くらい経った頃。
演武会に出ろと言われて自分がどういうふうに動いてるか客観的に観たかったらだったと思う。
その後、審査の様子や稽古の様子をどんどん撮って何十回も見返して、ダビングもして、自分の分だけでなく他人の分も撮ってやったりした。
そういう昔のやつは今はもう無い。あったとしても見たくないけど。(笑)
インターネットをやりだして、編集した動画をネット上にアップ出来るようになると、動画制作熱は加速した。
それでもやはりサーバーに金が掛かる問題もあって苦労もした。
その苦労が解消したのはYouTubeの登場。2005、6年頃から毎回の稽古を動画にしてアップするようになった。
その目的はもちろん自分の動きや指導の仕方のチェックということもあった。
稽古に来る人たちの復習のためというのも目的の一つ。
今時、そんなに真面目に武道に取り組む者なんてプロの選手でもない限りそうそういない。
そういう人たちが暇な時にでも見返して次の稽古に活かしてくれればという気持ちもあった。
そしてもう一つ。
全世界に公開することで、冷やかしやミーハーの人たちやええ格好しいのお気軽入会を出来るだけ防止したかった。

正直言って、武道武術界の技術レベルは落ちまくっていると思う。
世代の問題もあるし日本の政治や教育や景気の問題もあるだろうが、一番の問題は武道武術指導を商売にする人や出世の道具にする人が増えたことではないかと思う。

武道武術などというものは本来、商売や出世を目的に行うものではなかったはず。
簡単に言えば自己の技術や人格の向上を目指すものであり、出世に利用するとしても、金持ちかパトロンを得た芸者の行うものであったはず。
そこらの一般庶民が熱心に武道武術をやるなんてことは、江戸後期まであまりなかったのではないかと思う。
それが明治以降、武士階級の食い扶持のためか四民平等思想のためか富国強兵路線に乗ってか、政官界や軍関係や財界の支援などを受け、庶民にも普及しだした。
しかしまだ、武道武術を一生続けるなんてことはそんじょそこらの人に出来ることではなかったと思う。
それが戦後になって一気に変わった。
GHQの武道禁止政策もあり武道の道場に金が集まらなくなった。
そうなると当然武道団体としては、生徒の会費等で経営しなければならなくなる。
まずは学生に目をつけ、やがて婦女子や子供、そして中高年と生徒の層は拡大していった。
人が増えれば組織は拡大する。組織が拡大すれば金が掛かる。金が要るので生徒を減らせなくなる。
生徒や弟子はお客と化し、お客のご機嫌を取る必要も出て来る。客の嫌がる稽古をしなくなる。誇大宣伝したくもなる。
当たり前やな。飲食店が客の嫌いな食べ物を「これは体にいいから食べなさい」などと勧めない。
僕は僕のやりたい稽古を、生徒を実験台や研究材料として思う存分やりたかった。
そのために実験材料の質を落としたくなかったのである。
材料の質が落ちたり鮮度が落ちたら即辞めてもらう。
そのためには生徒の金に頼ってはいけない。
経営的に常に赤字で無くてはいけない。
というふうに自身を追い込んで来たのである。

それともう一つ動画をアップし続けた理由。
YouTubeという便利なものが出来て一番に危惧したこと。
それはレプリカの氾濫。
昔は武術道場での稽古は余人に盗まれないように隠していた。他武術の情報は入門するか手合わせするしかなかった。
今は映像も簡単に手に入る。見ればそれに影響を受けることも必至。
積極的に取り込まなくとも、遊び半分で試してるうちに同じようなことが出来るようになることもある。
僕が大東流を習ったことが無いにも関わらず合気上げみたいなことが出来るように。
僕の場合は子供の頃から相撲柔道空手剣道ボクシング・・・様々習って交流して、それら全てに影響を受けて今の僕の合気道があると広言してる。
それは合気道がそういう武道で独自性など無い武道だと僕が思ってるから。
しかし世の中、僕のような人間ばかりではない。
技術というものは武術に限らず引用盗用がお盛ん。
外観は酷似してて中身は無茶苦茶という例も多い。
なんでもパクって自分のウリジナルにしたがる隣国もある。
自家に代々伝わる門外不出の秘伝や奥義にしたがる人もいる。
最近、「なんじゃこりゃ?」と呆れる動画も増えて来た。

僕の武道の技術根幹は、
「相手を誘い出して、入身△で正面、下から入り込んで相手を支えて、転換◯する」
という合気道原理に尽きる。
しかしこんなもの、合気道に限らず、武術界全体いや宇宙の、普遍の原理であると思う。
なのでいろんな技術が似てて当然。
また僕は僕の稽古法や指導法をどんどんパクって欲しい、良いと思ったらどんどん取り込んで使って、普段の稽古や競技に活かしてもらいたいと思ってる。
ただパクった人が自分のウリジナルを主張したり、品質の劣ったものを広めたりするのは困ると思ってる。
また似たような技術の動画を公開された場合、僕にパクり疑惑が掛かって来る場合もある。
僕が早くから動画アップしそれらを保存してるのも、単なるデモパフォでなく細かく解説するのも、自分に対して振りかかるパクリ疑惑を防止するためでもあったわけ。
散々長いとかつまらんとか眠いとか下品とか言われて来たけども。(笑)
外観はパクれてても解説はパクれない。だって武術技法の種明かし動画など僕以前にほとんど無かったからな。
人を疑いたくも無いけどそれ以上に、人に疑われたくない。
どうせ武術武道なんて人間のやること。古今東西そんなに変わりが無い。
今後僕が行う稽古を誰ぞのパクリと疑われるのも、やっぱり癪でもある。
自然にまかせて放置しておけばこの世は混沌になる。
混沌は争いを生む。
武術武道界もこの日本の国も、明確な線引や縄張り意識が必要なのではないかと考えている。
生まれ育ちがそういうのを望むのだとは思うが、なんか武道界もサヨクに流れているようで気に食わん。

とにかく今後は、過去に撮りためた動画の編集作業と、またなにか必要性が出て来た時に補足する程度の動画アップをして行こう、そろそろご隠居生活に入っていいかなと思っている次第である。
おかげで今までにYouTubeにも2000弱の動画をアップ出来たし、技術理論も稽古法も指導法もほぼ確立して来たように思う。
正直言って、もうほとんどやるネタがない。
もし新しいネタをやるならば、どんどん質の良い材料や鮮度の良い材料を仕入れなければならないが、もう50もとっくに過ぎて、その気力も無くなって来た。
金の無駄遣いも減らして行かんとそろそろ老後も心配。
ということで、大阪武道術理研究会の動画撮りの頻度もまたアップの回数も減って来るであろうし、尼崎道場まで無くなった。
これはやはり転機であろうと思う。