「触れずに倒す」とは、やはり世間的には「不思議」な現象なんだろうと思います。
僕も岡本正剛先生のビデオをはじめて見たときは信じていなかったし、西野氏の気で飛ばす云々のビデオは最初からインチキだと思っていました。
それでも半分くらいは期待があったから合気道をやることになったんだと思います。
合気道をやりだしてわかったことは、合気道をやってる人でそんなことに一生懸命になってる人は非常に少ないということ、合気道の中でもそれらの人は変人扱いされていること、あんなものはインチキだとの意見が多いことなどです。
先生と呼ばれる人でも「わからない」とか「知らない」という人は多いし、「そんなものはない」と断言する人もいました。
だから僕は、「ああ、ああいう技術は合気道にはないんだな。合気道に合気はないのか」と思った時期もあったし、合気道の他に大東流もやろうかと思ったこともありました。そこで実際にいろいろ見学にも行ったのですよ。
そうこうするうちに合気道の技にも段々慣れてきて、多分先生方の技を見る目も変わってきたのだと思います。明らかに先生方の技は触れただけで掛かるし、相手が触れずに倒れていることもありました。僕はそういう時にはっきりと疑問をぶつけてきました。もっとも酒に酔った勢いを利用してですが。
答えは大抵こうでした。「俺はそんなことやってない」。
僕はその答えを聞きながらもなおも納得出来ませんでしたよ。実際にそういう現象が起こっているのです。そういう現象を自分で起こしながらそれを否定するとはどういうことか。それは「自分は意識してやっているものではない。たまたまそうなっただけである」と先生は解釈しているか、自分でそう思いこもうとしているかではないのかと。
触れずに倒すというのは、合気道全日本演武大会などにおいても渡辺師範のような本部師範の演武が嘲りの対象となります。他の師範方も渡辺師範を批判している人は多いと聞きます。
確かに誰が見ても「あやしい」と思うし、合気道を世間一般の人に誤解させることもあるかも知れない。だから多くの先生方はそういう演武や技を批判するのだと思うし、自分が出来るとしても否定することがあるのだと思います。
またそのような一見オカルトのようなものに対して実質的な「武術的合気道」を売り物にしたい師範もいるのでしょう。 この僕のような者でも何度も演武会であやしい系の技をやったことがありますが、周りの視線に非常に冷たいものを感じました。
まだ段位の低いうちはいろんな批判を先輩や先生方から正面から受けました。最初のうちはホントに「やらせ」的なものが多かったと思います。しかし普段の稽古において有無を言わさぬ力をつけてくるに従って、表立って批判をする人は少なくなりました。多くの人が実際に掛かるんだから仕方がないです。文句を言うとその人もインチキに協力していることになる。どっちがインチキ野郎だということになる。しかし心の中では「俺は技に掛かってやっている」という気持ちを持っていたであろうことはわかる。表立っては言えないが陰口という形で僕の耳に入ってくるからです。
当然そんな陰口が入ってくるということは、それに対して僕の返答がまた向こうに陰口として伝わる。そしてどんどん仲が険悪になる。表面上は何でもないように取り繕いながらも、心は態度と行動に表れる。はっきり言って、退会するまでの3年間に僕は先生や指導者と呼ばれる人たちと手を合わせて稽古をしたことがほとんどありません。
そういうことがあるから、やはり合気道の世界では「触れずに倒す」などということを見せる、あるいは研究するということは、「異端視」されやすいし、異端者という評価は合気道の世界で上に上がりにくいです。僕はそういうのをほとんど気にせず、自分の興味のあることを研究してきたに過ぎません。やりたいと思ったことを素直にやっただけの話です。
多くの先生方は自分が出来るにも関わらず、しないだけ、認めないだけであり、だから研究をしない。中には開祖や名人達人の神技としてまつりあげる人もいるでしょう。 でもね、触れずに倒すなんてことは、そんな神技のようなものではないですよ。ごく当たり前の日常的な現象であり、ごく当たり前のことだから誰にでも出来ます。ただ研究をしないから明確な理論を持ち得ず、教えることも出来ないのでしょう。
出来る人もそれを理論的に整理し、出来るようになるための順序だてた指導を行わないから、いつまでも不思議なことと思われる。いや、わざと神秘的なものにしている人も多いのかも。
この触れずに倒すなどというものは、初心者段階でも教えていくべきでしょう。触れずに倒せるということは、通常の筋肉を使用しないということです。触らないのだから伸筋も屈筋も脱力も糞もない。米糠三合持つ力があれば十分合気道が出来るというのも当たり前に理解出来ます。
最初は不思議だとあやしいとか思うとしても毎度毎度掛けられて、実際に自分も掛けるということをすれば、不思議でも何でもなく当たり前の現象であることが理解出来ます。
結局合気道で大切なのは、身体能力でなく「間の読み」であることが理解しやすいと思うのです。 まずは考え方を変えてあげること。そして考え方を自由に変える、視点を変えると新しい世界が開けてくること。これに気づかせてあげることが武道の指導者として大切なことと思います。
武術とは単に肉体を使ってどうこうする技術ではなく、結局は頭をTPNOに合わせて自由に変化対応させる技術なのです。