以前僕のところに他所の合気道道場で二段を取得されている方が稽古に来ました。稽古の前に何度も何度もうちにはうちのやり方があるから、今までされていたのと違いますと説明して始めたのですが…

まず最初は体の転換から。体の転換を見ればその人がどのような系統の合気道をどんなふうに稽古してきたかは解ります。型よりも流れを重視する道場のようでした。
流れを重視している道場で稽古される人が陥りやすいことに、入身をしっかりしないこと、技も掛かっていないのに勝手に受を取ってしまうことなどがあります。
相手とひとつになることよりも、相手と離れて揺さぶりで投げようとすること。力が抜けるところが出来るので、流れがいったん途切れると止まってしまうこと。
その人の場合は見事に当てはまっていました。

次の諸手取り呼吸法で僕が手を取りましたが、当然びくとも僕は動きません。
そうした場合、相手のよくやりそうなことと言えば、体重を掛けるか勢いをつけるかです。
僕が気を抜いて持っているわけでなく、完全に相手を制止させるだけの力でしっかり持っているのですから、そんなことで動くわけはないのです。
二段になってさえまだその手のテクニック?を使おうとするということは、その人の道場ではそれが通用しているということなのでしょう。
その後一教抑え込み表裏、正面打ち入身投表裏、坐技呼吸法で締めましたが、ことごとく技にならないのでさすがに不愉快極まりないといった様子でした。
それが僕の道場に稽古に来る、他の合気道道場の人達の通常のパターンなので、僕としてはやっぱりと思うだけですが、来る方の人にはかなりのショックがあるのでしょうね。
その人も僅か4年で二段を取られたと言っていましたので、かなり日を詰めて稽古してきたのでしょうしプライドもあるでしょうが、もし僕のところに来られるのなら、自分が変わらなければならないのだという、しっかりした意識を持って来ていただきたいと申し上げましたところ、入会されませんでした。

自分以外の人と和合したい。人だけでなく、この宇宙の総てと和合出来るようになりたい。これは僕の理想の合気道の在り方です。
以前にネットである人の発言を読み、その文章に惹かれました。表題は「同じを探してみる」。
内容は小鳥と木と自分、魚と蟻と自分、星と自分、何が同じか答えを探してみよう。
その答えが生きていく基本だけど、どうしても忘れがちになる。忘れないようにしていくことが、「こころとからだにいい」生活…

同じを探すということはまずその前に違うということがはっきりと認識されているわけですね。
小鳥や魚や星と自分が違うことは、まず誰にでも解る当たり前のこと。違いが分かっているから同じが探せると言えるでしょう。
さて、合気道の稽古ではどうでしょう。
合気道は各団体や道場、指導者によってさまざまな違いがあることは、皆さんはよくご存知のことと思います。
最近、合気道の呼吸法と大東流の合気上げの違い、あるいは同じについての話題もよく耳にします。
なかなか興味深くて、勉強にもなるお話だと思います。
ただ、それが単なる知識の範囲で収まってしまわないように。せめて見識にまで高めなくては。
さらに体識、胆識にまで高める用意を心の中にしておきたいですね。

僕のところのようにわざと違いを分からせるような稽古は、あまり普通の道場ではされないかも知れませんが、同じ道場内でも少なからずみんな違いがありますよね。
何が違うのか何故違うのか、思い込みを捨てて素直になって考えてみませんか。
そして相手の人のことを理解してあげる。自分のことも理解してもらう。その努力を怠ってはいけないと思います。
それから一緒に協力し合って、同じを探してみる。

そんな稽古や会話がしたいと思います。