現在の合気道においてさまざまな形やスタイルのある中で、やはり中心となるべきは、翁先生の残された宇宙の真理の教えであると思います。
そして宇宙の真理への到達への道として合気道をとらえるとすれば、合気道というものは各人各様、多種多様の道となり、修行人のお一人お一人に合わせた道の在り方があると思います。
しかしながら、今現在修行している道の在り方が本来のご自分に合ったものかどうかも、考えてみることも必要ではないでしょうか。合気の道はたった一つの道ではなく、実に多くの道の総称とでも言うべきものであり、十人十色、百人百様の種類と歩き方があります。そして合気道は全く無理をする必要はありません。

しかし「隣の花は…」式の安易な選択で、道場や師を選んでばかりいたり、師を信じられない、もしくは信じようとしない方もかなり見られます。
逆にご自分の師を唯一と思うあまり、それ以外のものを否定しがちになる方も多いとも思います。師の言葉を適当に解釈して、楽をしたり逆に体を痛め付けたり、また師の言葉は絶対と、自分の思い込みで手を抜いたり、無理をしてしまったり。
どちらも問題があると言えばありますが、要は自分自身の胸の内を勇気をもってのぞき込むこと。自分自身が心の底から素直になってあらゆる物事に対処しているか。逃げてはいないか、拒否していないか。恐れていないか、憎んでいないか。偽らないか、ごまかさないか。常に自分の心をチェックしながら、稽古を行うことが大切だと思います。

合気道の稽古とは、愛とは何であるかを考え、己の心が愛に反していないかをチェックするために行うものと思います。
相手の人に技が掛からないときは、手の形、足の踏み方、体の位置どりなど、体の部分に目がゆきがちですが、それはそれとして、ご自分の心の中ものぞいて見てください。
心の中をのぞき込むときの基準は愛。
しかし、愛といっても世間一般でいわれている愛ではない、ましてドラマや小説で語られる愛ではありません。ですから、合気道が「愛の武道」という言葉を理解するには、合気道でいうところの愛の意味を知る必要があります。

愛とは生成化育。産みだし、育てる。しかし、産み出して育てるばかりでは宇宙の循環は成り立ちません。収める、そして死という過程を踏まなければ、次の産みだしには繋がらないのです。
愛を語るとき多くの方が忘れているのが、この収めるということと殺すという過程です。一般にプラスのことは考えやすいが、マイナスの部分は見たくないという、偏った考えも多いと思います。

僕は以前、林業にも携わっていましたが、都会からもたくさんの方々が杉や桧の植樹祭などにもお越しでした。
しかし、これらの方々が植えた木を大きくなるまで育て、また間引きをし、あるいは伐採し、製品にするということまで考えているかといえば、残念ながらそれはありません。植えるだけ植えてあとはほったらかしでは、健全な森林は出来ません。
農業も同じです。苗を植え、手間をかけて育て、収穫して、口に入れるという循環があるからこそ、次の年も苗を植えることが出来るのです。

私たち人間は口から食べ物を摂取して日々の命を繋いでいます。あまりに当たり前すぎて深く考えることもないのかも知れませんが、これは他のものの命を食らって自分の命としているのだということを忘れてはいけないのだと思います。
しかし人の食べ物となるべく死を与えられたものは、観かたを変えれば、形を変えて人の中で新しい命として再生すると考えることも出来るのではないでしょうか。ですから死は新しい生の始まりとも言えます。
このように考えますと、この宇宙の片隅で殺すの殺されるのと騒ぐことも馬鹿らしくなるかも知れませんが、そこまで達観することはなくとも、人はすべてのものによって生かされていることを自覚し、またすべてのものを生かすために生きてゆかねばならないことに気づくべきであり、それこそが、宇宙の心、すなわち愛にそった生き方であり、合気道的な生き方と言えるのではないでしょうか。

何度も申し上げますが、生成化育とは単に産み出しと発展というプラス面だけを見るだけではいけません。衰退と死というマイナスも同様に重要なものとして見つめ、受け入れなければなりません。
どうしても人はプラス面だけを見たいものです。しかし、宇宙は必ずバランスを保つように出来ています。ある人のところにプラスが集中すれば、ある人のところにマイナスが集中するかも知れません。また時間が経てばそれが逆転するかも知れません。
人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとし、中庸を基本とし何事につけても、程々を日常の教えとした先人たちに、我々は今一度敬意を払うべきかも知れません。
そしてバランスを常に保つ方法は、廻す、廻るということ。独楽は廻るからバランスを保って立っていることが出来ます。廻ればプラスとマイナスが繋がり、更に高速回転をすれば、均一になるのではないか。

独楽が高速回転をしながらもじっと一点に制止しているかのごとく見える状態をスミキリといいます。合気道はこのスミキリを大切に考えています。

宇宙の理屈は簡単だと思います。循環させればいい、廻ればよい。これが陰陽のめぐりであり、すなわち呼吸。陰陽の転換、呼吸の転換はとぎれることなく続かなければなりません。そして宇宙のエネルギーはこの転換の時に生み出され、あるいは消費されると思います。
このことも合気道の稽古において、技の形と合わせて考えてみられるといかがでしょうか。

宇宙におけるこのようなシステムはすべて、大宇宙の意思を形として現すためにつくられました。このシステムを合気道では「めぐみ」といい、大宇宙の意思を「あい」と呼びます。

合気の道はさまざまな種類があることは先に述べた通りです。しかし、到達するべき目的地はひとつです。それは「愛」を知り、「愛」にしたがって生きる、そして、「愛」を護り、「愛」を育み、「愛」に感謝する。

合気道は「愛(のため)の武道」です。