我が国には、古来より様々な武術があり、その様々な武術の奥義あるいは極意の集大成が、合気道であると言われています。
開祖・植芝盛平大先生は、
「合気道とは、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある。『我はすなわち宇宙』を目指すことが合氣の道である」
とおっしゃいました。
「真に宇宙と一体になることができれば、いかなる場合にも絶対不敗である。絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬこと。勝つとは己れの心の中の『争う心』に打ち勝つことである」

合気道の修行者の中には、合気道を格闘技の一種だとして稽古している人も多くいますが、これは開祖のお言葉を考えると、全くの誤解であるといえます。
格闘技は戦って相手をやっつける技術ですが、合気道あるいは真の武道とは、戦わず相手と和合する技術であるからです。

合気道の稽古を行うにあたり、最も大切なことは、素直な気持ちになって無理をしないということです。
しかしこの無理をしないということが非常に難しいことなのです。
無理とは、合理的でないことですが、この合理的というのが世間一般の常識と大きく異なるため、合理的な理屈、理合(りあい)を理解するのに大変な時間が掛かる、もしくは間違った理解をしてしまうことが多いのです。
例えば人を投げたり押さえ込んだりするためには、大きな力が必要ですが、この力を一般常識では、筋肉の力だと考えます。
ところが合気道では、自分の筋肉の力以外に相手の力、意識の力、宇宙法則の力等を合成した力で技を行いますし、自分の筋力も殆どバランスを維持するだけの力ですから、非常に小さな筋力で済みます。
また一般的な目に見えるスピードというものは要りません。相手に痛みを与えるための技もありません。
しかし初めのうちは、すごい力や速さや痛みを感じますので、そういうものだと間違って理解してしまうのです。
これは感覚や神経が開発されていないための誤解であり、その誤解を解き、感覚と神経を磨いていくのが合気道の稽古であると理解する必要があります。
また技を掛ける方が勝ち、受ける方が負けという図式を考えがちですが、合気道には相手との勝ち負けはありません。相手に投げられた、押さえられたなどの形は負けた形ではないのです。
相手と一つになって自分の思う通りの動きが出来たかどうか、自分の気持ちが相手に正しく伝わり、相手がそれに正しく応じてくれたかどうかが大切であり、形が成立するかどうかは、自分と相手の共通の課題であることも理解する必要があります。

開祖はこうもおっしゃいました。
「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、まもり、育てることである」
「武道の鍛練とは、森羅万象を正しく産み、守り、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛練することである」
「真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである。すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。愛とはすべての守り本尊であり、愛なくばすべては成り立たない。合気の道こそ愛の現れなのである」
しかし、この愛という言葉が正しく理解されていないのが現状です。これはテレビドラマや小説等であまりにもいい加減な使い方をされているために、本当の意味を知る人が少なくなってしまったからでしょう。
武道が暴力と混同されているのと同じく、愛も恋愛や甘やかしと混同されています。
日本の言葉というものは、ア、カ、サ等の音の一つ一つに意味があり、その組み合わせで成り立っています。
こういう基本的なことも多くの日本人は、忘れてしまったというよりも、こんなことを言うほうがおかしい人間に思われる時代ではありますが、敢えて申しますと、愛のアとは宇宙のことでありイとは心のことです。
すなわち『愛』とは『宇宙の心』という意味です。
それでは宇宙の心とは何かというと、開祖の言われる生成化育、産み出し育てること。これは宇宙というものが一番初めにもった意志なのです。
 宇宙弥栄の無限大の完成、宇宙建国完成の精神といわれているものであり、宇宙の誕生の瞬間から現在まで、いや未来永劫に貫かれていくべき、宇宙万世一系の意志であります。
永遠の発展を望む宇宙が、その発展を促すシステムとして造り出したのが、循環というシステムです。生まれ、成長し、やがて衰え、死を迎える。
この循環を繰り返し繰り返し行うことにより、その度に大きくなっていく。
宇宙はこの循環によって現在の姿になったのです。
人間の一生も四季の移り変わりも、世界の歴史・経済、生物の繁栄・衰退から星や銀河の一生まで、この宇宙の全てがこの循環のシステムに従って動いています。
この偉大で崇高なる宇宙の心が『愛』といわれるものであり、それを実現する循環(めぐり)のシステム(しくみ)を『恵み』といいます。
この『恵み』を形で現すと円、螺旋、8の字などの形になります。
合気道とは、宇宙の『恵み』を頭で理解するだけでなく、自分の体で表現し、相手と一緒に協力して、何度も繰り返し反復稽古することにより、
体で理解出来るように、またその理解を更に深めて、自己の信念として確立させるために行うのです。
また人間が作り出したさまざまな汚染物質が、大自然の循環の中で浄化されていくように、宇宙の循環の形は相手の攻撃や邪心をきれいなものにして返すだけでなく、同時に自分の心や体の悪い部分や病までも浄化出来るのではないでしょうか。

また合気道では、『呼吸』という言葉がよく使われます。この『呼吸』ということを単に息を吐いたり、吸ったりすることと捉えがちです。
少し理解の進んだ人でも、タイミングや拍子と同じぐらいにしか理解出来ていないことが多いものです。
『呼吸』とは、『陰陽の結び』です。ところが『陰陽の結び』という言葉を聞いたとたん、多くの人が頭の中の回線を遮断し、思考を停止してしまうので、理解が進まないのです。
明治以降、日本人は、神仏や迷信などを否定するよう教えられてきました。
大東亜戦争後、西洋の文化が日本の文化をどんどん壊していく中に育った日本人の多くは、神仏というと何かうさん臭い目で見てしまう傾向にあります。
確かに怪しげな宗教カルトが、世の中にはたくさんあり、多くの事件を起こしています。マスコミもちょっとしたことでも大きく取りあげ宗教を攻撃するので、宗教信心に対する世間の誤解は深まるばかりです。
特に仏教よりも神道は戦前の国家神道や右翼思想とも混同され、少しでも神道の香りがすると、多くの人が耳を閉ざしてしまうということになってしまいます。
戦後の偏った教育や文化の影響から、心に壁ができてしまい、壁を取り除こうとも壁の向こうを覗き見ようともしません。ですから説明をしようとしても難しいとか、奥が深いとか、レベルが高すぎるとか言いながら、結局のところ逃げてしまう人が多いのです。
『呼吸』を知ること、『陰陽の結び』を知ることは、決して難しいことやレベルの高いものではありません。
合気道において最も基本的な、初歩とも言えることです。
これが基本にない、形だけの動きをいくら練習しても、合気の動きではないのです。
人はまず頭で理解してから、行動します。頭で理解していないことは、なかなか行動には移せないのです。
一度体で覚えてしまうとなかなか間違いに気づかなくなりますし、訂正もしづらくなります。
ですから初歩の段階で、合氣道の考え方や、動きの理屈を正しく理解することが大切であり、そのために陰陽の二気に対する理解は必要なことなのです。

「宇宙のはじまりのときに、万物となるべき根源が凝り固まって、まさに天と地とに分かれようとする兆しがあらわれはじめましたが、まだ天地の氣と形と質とは外にあらわれませんでしたので、名もなければ動きもなく、だれもその形を知ることが出来ませんでした。けれども、天地とがはじめて分かれましたとき、アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)とタカミムスヒノカミ(高御産巣日神)とカミムスヒノカミ(神産巣日神)との三柱の神が、高天原においてすべての物を作り出す最初となりました。
そこで、陰と陽の二氣がはっきり別のものとなり、イザナキノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)との二霊が、あらゆるものをお生みになる租となりました」
と、いうふうに古事記ははじまります。
イザナキ、イザナミ二柱の神は天の浮橋から地上に降り立たれ、広い御宮をおつくりになられました。そのうえで、イザナキノミコトは妻のイザナミノミコトに問いかけて、
「あなたのからだは、どんなふうにできていますか」
と、おたずねになりました。
「わたしのからだは、だんだんにできあがって、あとは、ひとところのみでききらないところがあるだけです」
と、このように、イザナミノミコトはお答え申しました。
そこでイザナキノミコトがおおせになりますには、
「わたしのからだは、だんだんにできあがって、できすぎてしまったところがひとところある。そこで、わたしのできすぎて余分のところを、あなたのでききらないところにさしふさいで、ふたりで国を生みだそうと思うのだが、どうだろう」
と、このようにおおせになりました。
「それはよいことでしょう」
イザナミノミコトは、そうお答え申しました。
このようにしてイザナキ、イザナミの二柱の神によって、国が生まれ、やがて多くの神々が生まれていくのです。

日本の古事記や日本書紀は単なる伝説的な神話ではなく、実は宇宙の真実を象徴的に物語っているのです。
しかし、古事記や日本書紀は、我が国の古来より伝わる古文書をもとに編纂された官製の書物ですので、たくさんの重要な情報や事実が削られていますし、誇張や偽りも多くあります。
開祖は、記紀以外の書物もひろく研究し、我が国の成り立ちから宇宙の成り立ちに至るまで真実を悟られ、その真実を世の中に広めるために合氣道を創始されました。
イザナキ、イザナミの二神の話は、男女の営みの話ではなく、『陰陽の結び』ということを教えています。
『陰陽の結び』とは、相手の足りないところを自分の余ったところで補うこと。そのことにより、万物は生み出されるという宇宙的な真実を告げています。
 この宇宙にはどんな物事にも対になる物事が必ず存在しています。陰と陽に始まり、天と地、火と水、光と闇、善と悪、上下、左右、動と静、プラスとマイナス、動物と植物、そして男と女等。
 これは対立しているということではありません。敵対するために存在している訳ではないのです。それは大自然の営みを見ればよく分かることです。
例えば植物を食べて生きる草食動物、またその草食動物を食べて生きる肉食動物、動物の死によって、さまざまな虫やバクテリアが生きていたりと、大自然はさまざまな食物連鎖のバランスのうえに成り立っています。
人間の目から見るとまだ子供のカモシカが、大きな肉食動物に殺されるのはかわいそうに思いがちですが、このような一見非情に見える事により、大自然の循環が保たれており、この大循環により、栄え、発展していく。
これこそが宇宙の『恵み』であり、宇宙の心、『愛』ということです。
陰と陽が結びつくことにより、必ず新しい力が生まれます。
カモシカはライオンに、食べられることにより、形は変わりますが、新しい命として、宇宙の発展に貢献していくことになります。
人間も生きていくために、たくさんの命を体の中に取り入れなければなりません。
そのたくさんの命を受けて生きていくのですから、その力をより有効に宇宙の発展のために利用し貢献していくことが、人間にも与えられた当然の使命です。
『結び』という言葉は『産霊』とも表します。産み出す(ムス)、エネルギー(ヒ)、つまり力を産み出すはたらきです。
このように考えていきますと、『呼吸』というのは単に息を吐いたり吸ったりすることではなく、例えば剣を振り上げる振り下ろす、腕を伸ばす曲げる、押す引く、動く止まるなどの行為は全て『呼吸』と捉えることができます。
つまり相対する動作や事柄が切れ目なく繋がって『転換』して行くことが『呼吸』ということであり、もしも繋がりに切れ目があるとすれば、その空虚な部分つまり空(ス)いた部分を『隙』というのです。
人間や動物だけでなく宇宙の万物の全てが、切れ目なく滞りなく『転換』して陰陽が入れ替わりながら運行していくには『呼吸』あるいは『産霊』の働きが重要です。

宇宙の心『愛』、『愛』を実現するシステムである『恵み』、『恵み』を推し進める『力』、そして『力』を産み出す『産霊』。この四つが宇宙の発展にとって不可欠のものです。
『愛』、『恵み』、『産霊』、『力』、これを、『四魂(シコン)』と言い、それぞれ『奇魂(クスミタマ)』、『荒魂(アラミタマ)』、『和魂(ニギミタマ)』、『幸魂(サチミタマ)』と言います。
また『天火水地』、あるいは『氣流柔剛』と表されることもあります。
武道の極意としてよく知られている『眼足胆力』や文章などの『起承転結』や『春夏秋冬』などの言葉も参考にして考えてみると分かりやすいかと思います。
宇宙はこの四魂の働きにより潤滑に運営されています。
『幸魂』は肉体であり自分の中心の確立です。自分の姿や現状を正しく認識し、ハラにしっかりと据えることです。
『和魂』は精神であり自分以外のものとの和合です。自分と他人の関係を正しく判断し、決して争わない努力をすることです。
『荒魂』は宇宙法則であり自分の体の動きを相手に合わせながら、円、螺旋、8の字を正しく運用し、やがて相手を導くことです。
『奇魂』はイメージであり相手の抱いているイメージを、必要に応じて宇宙の心を受けた正しいものに転換していかなければなりません。
合気道は四魂の働きを調和させ、さらに強くしていくことにより、宇宙と一体になる境地に近づいていくように修練していくものです。

人はこの世に生を受けてから、必ずしも正しく清らかなものにだけ触れる訳ではありません。間違った知識や悪い習慣や汚れた心にも触れて生きていきます。
しかしどの人間もその心の本質は光り輝く玉のようなものです。そしてその玉を写し出す鏡を持っています。玉に付いた汚れ具合をチェックする鏡です。また、汚れや穢れを祓う剣も持っています。
人は自分の中に玉(魂)と鏡(良心)と剣(勇気)を持って生まれてきているのです。
ご皇室が代々伝えてきている三種の神器は、このことを象徴しています。
人が生きていくうちに、放っておけば玉は垢にまみれていきます。鏡は曇ります。剣は錆びていくでしょう。
 合気道は、玉と鏡と剣を清浄にするための禊の業です。
 我々の魂が、宇宙の心である愛の光を受けて美しく輝くために合気道はあるのです。

開祖のお言葉を正しく理解し、宇宙の心を悟り、恵みの意味を考える。
 宇宙の愛の光を受けて、人々と世界の歩むべき道を照らしだす。この努力を一生涯かけて一秒一瞬も休むことなく継続していく。
 この果てしなき終わりなき道が合氣の道であり、合気道は宇宙から与えられた使命と責任に目覚めるための修行です。
自己の使命と責任に目覚めること、そしてその使命と責任に従って生きる覚悟を決めることを『自覚』といいます。
 これこそが合気道修行者がまず目指すべき目標といえるでしょう。