武道・武術の世界もネットでの情報のやり取りが盛んになって、賛否両論あるんでしょうけど、当然僕は賛成派なわけです。
批判する側の人の言い分としては、武道なんてもんは自分の身体を通して身につくもので、文字や言葉で伝わるもんやったら苦労しない、そんなことしてる暇があったら練習せい、というのが多いようです。
ネットを利用してる人の中にもそう思っている人は多くて、技術論や思想論をたたかわせている人たちをバカにしている人もいます。僕にしたら結局は己の文章表現能力や読解能力のないのを棚に上げてるとしか思えないんです。
逆に言葉のやり取りにばかり熱心で論争に勝つことばかり考えていて、実際にお前に何が出来るんやと言われて、自分は出来ないけれども・・・、なんていう人もいますから、この世界も結構バランスが上手いこと取れてるのかも知れません。

言葉は心を伝える手段としては、もっとも端っこに位置するもの。だから「ことの端」といいます。
昔の日本人は言葉ではなく言葉以外のものでも伝えようとしてきました。だから「気」というものを察する能力に長けていたのではないでしょうか。
でも、言葉をおろそかに考えていたわけではありません。
日本は「言霊」に支配されている国です。言葉そのものに霊力を感じます。ですからめったなことでは言葉に出さないという文化が形成されてきたのだと思います。
戦後外国の文化を無節操に何でも受け入れてきた中に、言葉や態度ではっきり示せ、というのがあります。
それは当然です。言葉や態度で示さないことには何も通じませんよね。でもひとつ考えてほしいのは、それは常に異民族や異文化と接触してこなければならなかった、外国人の文化だということです。
先祖代々同じ土地に住み、ほとんど同族といってもよいような人たちの中で暮らしてきた多くの日本人にとって、言葉のようなもんは大して必要ではなかったのではないか。
自分も相手も同じひとつの世界の住人として、共通の文化や価値観を共有してきた日本人は、心と心が一体となり言葉なんかを使わなくてもある程度の意思の疎通は出来たのではないか。
僕はそれこそが合気道家として目指すべきものだと思うのです。

目指したいことはそうだけど、実際の世の中は今やぐちゃぐちゃの状態ですね。文化も価値観も道徳もみんなまぜこぜ状態です。
こんな世の中で先に言ったような理想論のみ振りかざしていてもアホなだけです。心で伝えるんやといくら頑張っても、相手が全くその気にならなければ駄目なんです。
昔は目と目で会話出来ても、今は目と目を合わせることが出来ない人がたくさんいますしね。
だから態度でも言葉でも行動でも、ありとあらゆるものを駆使して、まずはなんとかこちらに注意を集めないといけません。
注意を集めたら、さらに相手をどんどん引き込む技術を駆使しなければいけません。そうして相手に自分のことを十分に判ってもらって、さらに深い関係を築いていく努力をしなければなりません。
それからです、理想の実現に向かうのは。

まあ、ネット上の情報のやり取りなんて、週刊誌の表紙の見出しみたいなものです。見出しを見ただけで内容を読んだ気になっても駄目。
見出しは大事ですよ。雑誌なども見出しで大幅に売れ行きが変わるのですから。
でも見出しがいくら立派でも中身が大したことなかったら、期待したぶんガッカリしますよね。

僕はあんまり技術的にどうこういうことはネットの上では語っても仕方ないと思います。そんなもんはいくら口で言っても判るものではない。そんなので判るくらいなら武道も通信教育でいい。
なら僕が毎日のようにSNS等で話しているのは何やということになりますが、僕が語っているのは今現在の僕の「境地」「ステージ」です。そしてそれを感じれることの出来る人、感じようとしてくれる人。そういう人たちだけに見えるように出している見出しのようなものです。
中には見出しに釣られてふらっとなんの気なしにWEBや稽古に来る人もいるでしょうが、なんの気なしに来てふんふんと理解出来るような簡単なことは書いていません。女性週刊誌のゴシップ記事じゃないですからね。
判らない人は自分の境地が低いんだとでも思っててください。無理に判ろうとしなくていいのです。雑誌でも購読層というもんを考えて作りますでしょう。

合気道の稽古も一緒です。僕は技法なんかは教えてません。そんなものはどこでも教えてくれますからね。いや、ほんまに教えてもらえるんかどうかよく知らないのですが。
僕が教えるのは僕が現在の境地に至った過程を教えているだけです。ですから僕の境地に興味のない人は要りません。

ま、僕がこう思ってるということはですよ。皆さんの発言も皆さんの現在の境地から出た言葉やという目で見させてもらってるということです。実際いろいろな境地が見えますね。
中には自分の境地も判らずに他人の境地の話を自分の境地と混同して話をする人がいます。そんな人とはまず話す気にはなりません。
見る気になればそんなんはお見通しですね。見えないのは見ようとしないからですね。