合気道は健康にいい、なんていうのはよく聞く話で、その武術的な、あるいは護身術的なものよりもそちらの目的で合気道をされている方って多いと思います。
僕も高齢者や多くのご婦人方にはそういうふうにお勧めしますし、普段何も運動をされないような方々にとっては、週に一度でも二度でも身体を動かしたほうがよいと思います。
一般的な合気道の場合、試合というものがないですから、勝つために特に筋肉を鍛えたり、無理をしたり我慢することが少ないですし、自然な姿勢で技を施すことが要求されますから、姿勢もよくなるし、ストレッチの効果もありますのでダイエットにもなり、身体の凝りなんかも取れてくることはありますね。
また、ご婦人方にとっては更年期以降の骨粗鬆症の問題に大変な効果をもたらすと考えています。
よく腰痛の治療・防止のために水中歩行なんてのをスイミングスクールなどでやるのが流行っているようですが、水中の運動は筋力の向上維持には効果があっても、骨に関しては負荷が掛からないので、骨粗鬆症の予防にはあまり効果がないのではないかと考えています。
その点合気道は筋力の維持も出来るし、受身などを取ることによって、骨にもある程度の負担が掛かるし、正しい姿勢で動作を行うことによって、日常生活でも無理な身体の使い方をすることが少なくなるし、バランス感覚も鍛えられるので、物に躓いてこけたりする危険性も少なくなるんじゃないかと思います。
ひっくり返って足の骨を折って、それ以降寝たきりになったって話はよくあることですよね。

僕は一時期田舎に住んでいましたから、周りにお爺さんお婆さんがたくさんいました。
各家庭、自分の家族の食べる分くらいは自分の畑で作りますから、畑仕事が日課になっている人も多かったです。
こういう人たちは80を過ぎても大変元気なんですが、この人たちの子供や孫の世代になるとそうでもないです。
だいたいどこに行くのも車です。つい100メートルほどのタバコの自動販売機に行くのにさえ車に乗ります。
畑仕事もお年寄りに任せきりですし、手伝うっても手伝えないですね。すぐに腰が痛いだの言う人もいます。
伝統的に山仕事で生活を支えてきた村だったのですが、若い人たちには、草刈鎌やのこぎりひとつ使えない人もたくさんいました。
周りが自然に囲まれているからアウトドアの技術があるかと思えば、焚き火ひとつ出来なかったりしますよ。
そこらへんは都会の人の方が達者な人も多いでしょうね。
そう言う僕なんかも、都会から田舎に移住した当初は山登りでも70の爺さんにさえついていけず、丸太一本担いでもお話にならなかったし、ここらの人間はモノノケかと思ったものです。
一年もしたら僕もモノノケの端っこのほうに加えてもらえましたが。(笑)

都会の生活で多少身体を鍛えていても、大自然の中では役に立たないってことは多いです。
またジムに通ってマシンやエアロビクスで鍛えたり汗を掻いたりしても、それがはたしてどれだけ健康に効果があるかは判りませんね。走るってのもどうかと思います。
そういう人たちって一見健康そうに見えるんですが、実はいろいろな故障を抱えていたりしますし、中には運動依存症みたいな人もいますから。
健康のためには、歩くってのがまだましだと思いますが、これだって普段運動不足だから効果があるってことで、都会の固い平坦なアスファルトの上で歩いても、最低限の効果があるだけでしょうし、実は僕なんかはもうアスファルトの上を歩くと非常に足が疲れるんですよ。ひょっとしたらかなり足に負担がかかっているのかも知れないなんて密かに思っていたりもします。

ということで、やはり日常的に身体を動かすっていうのはとても大切なことなんですが、普通の合気道のお稽古では到底日常的に身体を動かすというのには程遠いっていうことが多いと思うのですね。せいぜい週に2、3時間っていうのがほとんどではないでしょうか。
そりゃ中には病み付きになっている人もいるでしょうし、毎日稽古に通われている方もいるでしょうし、ご自身で鍛錬をされている方もおいででしょう。
しかし専門家ならいざ知らず、普通に仕事なり学業なりをされている人たちは、やはり一日のうちで合気道に関わる時間というものは限られてくると思うのです。それは仕方がない。
では、日常的に道場での稽古をしていないものは合気道の真髄に迫ることは出来ないのか、ということになりますが、僕の考えるところによると、そうでもないんじゃないかと思います。
合気道の稽古は技を通して世の中の法則を学ぶものです。
いわば合気道の道場は学校であって、学校というものは一般社会に出たときのためにいろいろなことを学ぶんですよね。
だから合気道の道場で学んだことを常に実生活で使わなければ意味がないのです。
合気道は道場だけでやっているだけでは上達しても知れています。そして稽古は道場だけで行うものではない。
日常の生活そのものが稽古の場であり、日常をどれだけ合気道の道場の稽古の延長として考えていくかで、その上達の早さが違ってきます。

こんなことをいうと他の武術の方々のお叱りを受けるかも知れませんが、他の武術の技の多くは実生活にない方がよい場面を想定した技と言えるのではないかと思います。
簡単に言うと非常時における対処法?というものが多いのではないかと。
いやいや、そうならないための予防の意味もあるということも判りますが、一応この場はそうしておいてください。
合気道を習いにくる人でも、「いざというときのために・・・」という人は多いです。
それに対して、そうじゃないよ、なんてことをいきなり言っても仕方ないので、はいはい、って調子を合わしていますけど、合気道はいざというときでなしに、いつでもどこでもやるべきことを学ぶのですね。
いつでもどこでも誰にでも何にでも、その学んだことを活かすから、「いざ・・・」なんてことに遭遇しないんだということも教えていかなくてはいけないと思います。

健康のために身体を動かすのも、何のためにやっているのかよく考えて行わなければいけませんが、合気道の稽古も同じように何のための稽古かよく考えなければなりません。
運動でも合気道でもそれぞれの目的というものに合わせて、それぞれの目的を達成するべく行わなければなりません。
全ての運動が全ての人の健康に有効でないのと同じように、合気道の稽古も世の中の全てのことに有効とは限りません。
合気道は宇宙の法則に反することには有効に働きません。合気道の稽古は宇宙の法則にしたがっての稽古ということをしていかねばなりませんし、その稽古を日常で活かしていくことによって、宇宙の法則にしたがった日常というものが送れるようになるのではないでしょうか。
ま、そういうことですからあまり合気道の技を特別なことに考えずに日常の常識でもって考えていけば、多くの日常から気づきを得ることが出来るし上達も早いと思うのですが、非常識を求める人も多いし、最近の常識というものはどうも変な方向に向いていることも多いですね。

翁先生は、合気道は知育、体育、徳育と常識の涵養とおっしゃってらしたのです。