合気道の目指すところは「我即宇宙の境地」であるとはよく言われることです。
また宇宙との同化であるとか、宇宙の中心と自分の中心をひとつにする、などとも言われます。
そしてこれが大変に難しいこと、一生かけて修行して体得していくべきものと、多くの修行者の方々が思われていると思います。
しかし僕はそこにあえて今回異論を申し述べたいのです。

合気道の修行において僕は体を鍛えるなどということに重点をおきません。まして部分的な筋肉を鍛えるなどということを一切否定しております。
その根拠は何か。僕がその修行の過程においてそんなことは一切必要としなかったからです。
いや僕だけでなく、多くの実例を見てきましましたし実際に育てても参りました。
なるほど僕だけ、あるいは何人かの人だけならその人が特別な素質を持っていたという理由が考えられますが、老若男女あらゆる人たちの実績があるからこそ、僕は自信をもってそんなものはいらないと申し上げることが出来るのです。
しかしこれを信じてくれる人は少ないです。

ご存知のように合気道は高齢の方々でも現役で活躍されている方々が多くおられます。
中には相当足腰が不自由な方もいらしゃいます。
しかし稽古や演武などにおいては、まだまだ若い者を寄せ付けない強さを発揮される方は実在します。
それらご高齢の方々の強さを認めるにしても、その方々は若いころからずっと毎日毎日鍛錬を続け、筋肉も相当鍛えてきたから年を取ってから筋肉以外の力を使えるようになったのだと主張する人がいます。
これって結構支持を得ている考え方のようですが、これほど矛盾した考えはないのではないですか。
年を取ったら筋肉は衰えます。筋肉が衰えたら力は弱くなるから当然筋肉の力を使っているのではないことはわかります。
だから筋肉以外の何かの力を求めたくなるのはわかりますが、じゃあ一体何の力を使うというのでしょうか?
丹田の力・ハラの力、中心の力、心の力、気の力・・・。
まあ何だかんだ出てきますが、結局出てくるのは説明困難な力ばかりではないでしょうか。
これが自分の中から生まれてくるとして自分の中から筋力以外の力をどうやって生み出すというのでしょう。
まるでオカルトです。
もう少し頭のよい人は自然の物理法則だとか相手の力だとか言いますが、物理法則や相手の力を利用するのであれば、体を鍛える必要など何もないのではないでしょうか。
体を鍛えなければ自然法則や相手の力を利用できない理由とはなんでしょうか?

冷静に考えれば誰にでもわかることですね。
自分の力にしても自然の力や相手の力を使うにしても利用するにしても、力の使い方や利用の仕方を学べばよいだけであって、年を取ってから衰えて使えなくなる筋肉などは一切鍛える必要はないのです。
もちろん、これがスポーツであるとか試合を行わなければならないとかであれば別ですし、激しい投げや長時間の稽古や演武に耐えうることが必要というなら別の話です。
それはそれでそれ用に体を鍛えればよいことですが、それが合気道の修行者にとって必ずしも必要かと言えばそんなことはないでしょう。
高齢の先生方が長時間連続で受けなんて取ることはまずないでしょう。
技を掛けるだけなら自分の力は大して使わないのだからいくらでも続けられます。
そんなことが出来ない人が筋力が要ると思い込むのも仕方がないことと思いますし、現にこの僕だってそう考えていた時期があったわけです。

ではその考え方がなぜ変わったか。ある気づきを得てそうじゃないことを実感し、その実感が積み重なって確信に変わり、その確信が深まるような体験をどんどんしていったからですね。
そしてその確信にしたがって指導を行い、同じような気づきを得て、同じようなことを実感し、同じように確信を深める人たちを実際に見てきたからです。
人というものは一瞬で変わることが可能です。
例えばひとつの技にしても今まで力ずくでしか掛けていなかった人に少しコツを教えてやると、その日の稽古の時間の間に簡単に掛かるようになるでしょう。
そんな短い時間に筋肉が鍛えられたわけでもなければ身体能力が飛躍的に向上したわけでもないはずです。
体を鍛えるとか身体能力の向上がどうこう言う人はこの日常茶飯事に起こるごく当たり前ことをどう考えているのでしょうか。

我即宇宙に話を戻します。
合気道の開祖が我即宇宙の境地を実感されたのはいつですか?開祖晩年のお話でしょうか?
たとえば有名な黄金体のお話は大正14年のこと。開祖42歳の時のお話です。
お年を召されて晩年になってから開かれた悟りでもないのです。
開祖はその瞬間に我即宇宙を確信した、そういうことでしょう。
それを確信するまでには長い修行があったわけですが、その修行において何かの気づきを得て、その気づきを確かめるべく修行を行われたことは間違いないと思いますよ。
しかし気づきの瞬間に人は変わり、確信の瞬間に人は変わります。いや、人は常に変わり続けているはず、変化の連続であるはずです。
その変化に気づく、その変化を実感し続けることが大切なのではないでしょうか。

開祖も一人でご修行をされて一人で気づきや確信を得たわけでもないでしょう。
周りには常に多くの人がいたわけですし、たくさんの書物を読み様々な研究をされたでしょうし、出口聖師の教えを受けたことが大きかったのではないでしょうか。
我々合気道の修行者は、開祖をはじめ多くの先生方の貴重な体験を聞くことも出来、読むことも出来る。なのに何で開祖が42歳で気づかれた境地をどうして素直に受け入れることが出来ないのでしょう。
それは我即宇宙という言葉にあまりに多くの夢を見過ぎているからではないでしょうか。
我即宇宙が何かスーパーマンのような力を表しているとでも思っているのではないでしょうか。
宇宙の中心に帰一するということを、宇宙のすべてが自分の思い通りに動くなんてことと考えているのではないでしょうか。
いや、実際にそう思っている人が多いんですよ。だからこんな言葉を聞いたくらいでオカルト扱いする人がいるんです。

我即宇宙というのは神道系の考え方では、ごく当たり前の考え方です。
神道ではすべての物事は大宇宙の雛型であると考えています。人間そのものが小宇宙であるなんてことを聞いたことがあるでしょう。
神道はそれを当たり前に考える。そもそも人は宇宙と一体、自然と一体であるというのが当たり前のことなんです。
ですから当たり前のことを当たり前にやれば宇宙の法則に合致し自然な動きが出来るのです。
なぜそれが出来ないかというと自然の流れに合わないことを行うからであり、合わない考えで動くからです。
ではその当たり前のこと、宇宙やら自然やらの法則に合致した動き方や考え方を知るにはどうすればよいか。
素直な心で世の中のいろんな事象を見て、素直に美しいと感じるもの素晴らしいと思うものから学べばいい。
そういう人がいるならその人の話を聞けばいいし、体で教えてもらえるなら教えてもらえばいい。
美しいとか素晴らしいとかは人によって価値観が違うでしょう。しかし合気道は合気道なりの価値観を開祖が打ち出しておられます。
合気道の称える価値観は「バランス」と「生成化育」と「循環」です。

気づきは自分だけで気づく必要はないんです。開祖だって誰かから気づきを与えてもらって、それを信じて修行してやがて確信に至ったのです。
現在の合気道修行者はそれを最初から明確に与えていただいているんですよ。
だから我即宇宙をまず信じるところから修行を始めるべきです。我即宇宙を実感できる稽古を行うべきです。
そして我即宇宙を確信できるよう稽古を続けるべきなのです。

合気道は天辺から入るとよく言われます。ここも他の武道の方から批判を受けるところです。
別にそれでも構わないんですよ。だから合気道修行者の方々は自信を持ってください。
入り方なんてものはどこからだっていいんです。
大切なのはどこから入ってもやがては全体を捉えるべく努力すること。
いけないのは天辺から入っただけで満足してしまうことです。
天辺を知る者が偉いと錯覚してしまうことです。

我即宇宙も自分が中心であるというのも、単純にああそうかと信じればいいです。
それが当たり前のことなのですからね。

しかしここは間違ってはいけません。宇宙とはあなただけの宇宙がすべてではないのです。
あなたが我即宇宙なら隣にいる人も我即宇宙ということ。この世の中は様々な人の多種多用な宇宙がいくつも重なり合って存在しているということ。
そしてそれらの宇宙が互いに結び合って補い合って更に大きな宇宙が形成されているのだということを忘れてはいけないということです。
また自分が中心ということも、それは自分の宇宙の中心というだけ、ということを知るべきですし、他の人の宇宙と重なった時に自分の中心で回ることもあれば他の人を中心に自分が周りを回ることもある。
それは時と場合と目的によって臨機応変でなければならないということを知っていただきたい。

まずは我即宇宙に気づき実感をしていけば、現在の自分の宇宙がどれほどのものかがわかります。
自分の力の範囲の大きさがわかれば自分の実力も把握出来ます。自分の実力が把握出来れば無理をすることも無茶をすることもない。
精神的にも安定しますよ。
自分の中心を意識出来れば、その中心が動いていればそれは他のところに自分を動かす中心があって、自分が動かされていることに気づくはずです。
また周りを見てみると自分を中心に回っているものも見えるはずです。
あらゆる物事は自分を中心に回るものを従えながら、また自分も何かを中心として動いているものです。
それが宇宙の姿です。自分もまたひとつの中心であるということに気づかなければ、周りのことを見ることも出来ません。
合気道の修行とは、我即宇宙、自分が中心という意識から始めるべき。
そして自分の宇宙の拡大としっかりした中心力を培うための修行を行うべきです。