合気道は当たり前のことを当たり前に出来れば、それでよいと思います。その当たり前ということが難しいことであるという意見はよく聞きますが、しかしそんなに難しいことなのでしょうか。
いや本当はそうではない、実に簡単なことなのです。
ああ、そういうものなのだと知りさえすればよいことなのです。

合気道は呼吸が大事と言われています。では呼吸とは何であるか。単に息を吸ったり吐いたりするだけのものではないことは皆さんもご存知でしょう。では何なのかというと、これをまた難しく考える。
何でもいいのですよ。呼吸はすべてのものに存在すると言われているのだからそれを信じて、なんでもかんでも呼吸と考えればよいのです。
気などという言葉もそうです。これが気だ、あれは気ではないなんて区別するより、なんでもかんでも言われてるものは気だと思えばよいのです。

まあ、そういうことでなんでも簡単に考えていくと、実に人間の体は簡単に出来ていることに気づきます。
例えばある動作をさせるとする。そうすると必ず質問する人がいます。

「そのとき息は吸うのですか吐くのですか?」

「楽なほうをしたらよろしねん」

「このときはどの方向にどれくらいの角度で動いたらええんですか」

「楽に動けるところを動いたらよろしねん」

「力は入れるのですか抜くのですか」

「やかましいっ!あんたのやりやすいようにせえ!」

自分の頭で考えるということをせずになんでも聞きたがる人が多すぎます。そういう人は教えたらそのことを覚えているかというと、次の稽古のときには忘れてしまっているのです。
合気道道場の先生になるには実に根気が要ります。
毎回毎回同じことを同じ人たちに繰り返し繰り返しやさしく言い続けなければならない。僕は正直な話、僕の先生方を非常に尊敬してきたのです。とても僕にはあんな真似は出来ないです。
やはり僕には僕のやり方しか出来ません。何度言ってもわかろうとしない人は相手にはしない。時間の無駄です。合気道は一切無駄なことをするものではないものだと、僕は常々言ってます。

無駄と言えば要らぬところで要らぬ力を使うことほどアホらしいものはないです。
世の中には何でも力を入れてやりさえすればよいと思っている人も多いし、なんでも頑張ればよいと思っている人も多いです。
しかしそんなことはないということは少し考えればわかるんですよ。だから理屈を説明すれば大抵納得をするが実際にやってみるとついつい忘れてしまう。
どうして忘れるか。それは心の底から大事だと思っていないからでしょう。僕の言うことよりも自分の考えのほうが正しいと心の奥底で思っているからではないですか。
失礼な話ですよ。そんなことなら稽古になんか来なくていいのです。自分勝手にやりましょう。
だからそういう失礼なことがあると僕は怒鳴るのです。

「ボケェ!!!」

でも怒鳴った後は、結構優しくフォローしたりもします。
生徒が来なくなったらそれはそれで困りますから。(笑)

合気道の呼吸は実は活殺ということです。つまり生き死にということです。そして合気道は呼吸を合わせるものです。
極端な話、殺すときに力を入れるのは間違いなのです。呼吸を合わせるのであれば人を殺すときは相手は力が抜けるのだから、自分も当然力は抜くのです。
剣で考えてみればよくわかります。剣は振り上げるときに力が要りますが振り上げている途中は力は要らない。そして振り下ろしに力は要りませんが止めるときに力がまた必要になるのです。そこらへんがわかってない人は大変剣をしんどそうに振るのです。

自然にまかせてほっておけば人は死にます。人を殺すのに何の力も要らないのです。そしてこれが本当のところなのです。
だから殺しに相当する動作を行うときは力を抜く。そして息は吐くのです。そのときに余計な力は使ってはいけません。それはまったく無駄になるから。無駄な力をそこで使うと今度は生かすときに使う力が減るのです。
まったく理屈にかなったことであるのに、それに気づかない人、または教えても信じようとしない生徒がいます。困ったものです。

本当に当たり前のことなんですよ。
力というものは人やものを「生かすために」こそ使うものです!