当方では、合気なるものを一切神秘や不思議のものとして扱いません。世間一般、また日常においていくらでもある、ごく普通の現象として捉えます。
ですからその修得に時間が掛かるということがありません。しかしそのためには明確な合気の定義が必要です。この合気の定義をきっちりと行わないからこそ、合気が理解できずに、またその先に進むことが出来ないと考えています。

合気の状態とは拮抗の状態でありさらに、完全に前後左右上下など、三次元空間内における力のバランスが取れている状態です。

などと文章で書くとややこしいのですが、これは実は何でもないことです。
地球上のあらゆる物体が「固定」されているということは、この状態であるということなのです。
まず固定した状態がある。だからその固定したものを動かすことが出来るのです。
人が物体を「持つ」ということと全く同じなのです。物体を運ぶときには、まずしっかりと「持つ」ことを行うでしょう。その「しっかりと持つ」ということが「合気」であって、その後の運ぶことや下ろすことまでも合気の範疇に入れてしまうと初心者の段階ではわけがわからなくなります。

野球やサッカーなどのスポーツでも、しっかりとボールを受けること、止めることが基本中の基本であるはずです。投げることや蹴ることとは本来は違う技術ですね。
そんな当たり前のことに、どうして合気道や大東流などの指導者は気付かないのか、いや合気系に限らず、多くの武術武道格闘技においても同様であろうと思います。
受けるということを、単に捌いたり払ったり、あるいは殴られても蹴られても投げられても平気な身体とでも考えているかのように思います。受けるということは、文字通り、相手の力や身体を受け止めるということ。しっかりと相手の力や身体を保持しないと、コントロール出来ないのは当たり前のことです。

合気道の場合、合気よりも強調されるのは、「崩す」ということです。
しかし多くの指導者は愛の武道たる合気道がなぜ相手を崩すのかということを教えてはいませんね。
崩すということは、すぐにその場でやっつけてしまうことではありません。単に自分が持ちやすいように運びやすいように変化させるだけです。
例えば大工さんの仕事を考えてください。立っている長い角材を運ぶ場合、立ったままの状態で運ぶ大工さんはあまりいません。大抵の場合は傾けて、重心部分に自分の肩を入れて、横にした状態で担いで持って行きますよね。そして目的の場所についたら、また立てるか横にしたままで置いて切ったり削ったりの仕事に掛かるわけです。
持っていったところでまた立てるというのは、合気道の演武などで行われるトドメを刺さない演武です。実際に切ったり削ったりがトドメまで行う演武だと考えればよいと思います。
このように崩すという行為は物体を移動するときに、移動しやすいように状態を変化させるだけのことで、本来は「持つ」ために行うことです。しかし崩すこと即、相手をやっつけることと思い込んでいる人が多いために、自分のやりやすい状態で仕事を行うということが出来ないわけです。
大工さんの仕事は、立ってる材木を倒すことが仕事ではないのです。スポーツのようなものであれば、そういうお遊び的な競技も成り立つでしょうが、「実践」を考えるべき武術武道においてはそのような競技ではなく、ちゃんと仕事として完結させねばなりません。
大工さんが切ったり削ったりするということはやり直しがきかない。つまり一撃必殺でなければならないのです。

もちろんこれは僕の「合気」と「崩し」の解釈ですから、他武術や他流派が他の定義を行っても構わないわけですが、それならきっちりと各武術、各流派、各指導者なりの、きっちりした「定義」を行ってから指導にあたっていただきたいと思います。
指導者自身が「定義」をきっちりと決めて「持つ」ことが出来なければ、その指導を受ける人たちが迷うのは当たり前の話です。
「しっかりと持つ」ということが必要なのは、何も物体だけに限ることではありません。

合気と崩し
http://www.youtube.com/watch?v=Lub4G_6BBBQ&feature=share&list=PL1F01B092F70EEF62