合気道の剣は、一刀流で言えば「切り落とし」新陰流で言えば「合撃打ち(がっしうち)」の技術である。
攻撃というのは一部が突出することであるから、その他の部分に隙が出来る。
剣なら「切り下ろしの瞬間」にも隙が出来やすくなる。
人間は一旦アクションしだすと、容易に軌道修正ができない。
切り下ろしている最中には剣線も体の移動も、変化させられない。
変化させるには、0.2~0.3秒掛かる。それだけのタイムラグがある。これを利用するのが「切り落とし」や「合撃打ち」で、相手が先に切りつけて来ても勝つことが出来る。
だから合気道では、仕掛けて相手の攻撃を誘い出すのである。
もちろん物理的にも勝つように刀を合わせる。
なので切り落としや合撃を決められたら相手は防ぎようがない。
竹刀でも木刀でも真剣でも横にはじかれてしまい、そのまま面に切り込まれてしまうのである。
相手が自分より練達で、高レベルの技術を会得していた場合は自分に待っているのは死だけ、ということになる。
ただし、この「切り落とし」や「合撃打ち」は、「極意」とされており、誰にでもできるものではないとされている。
合気道の剣は最初からこの極意を教えているのである。
どちらが強いか弱いかという話ではなく、術の深奥をどちらが会得しているかで勝ち負けが決まるという話。
「今の自分がどうなのか」という「境地の問題」でもある。
掛かり稽古や試合も大切ではあるが、もっと大切なこととして「今の自分の在り様」がどの域まで達しているか、どんどん高度な世界に入って行くか。
比較が無いということは、際限が無いということでもある。
合気道に試合が無いということは、実はそういうことなのである。
http://www.youtube.com/watch?v=_jsSxaO_vY8
『兵法のならい、色々ありといえども別に用いず
一、打ち出すところを勝つか
一、打ち出さぬ者には仕掛けて打つところを勝つか
一、それを知るものには、我が打ちを見せて、それを打つところを勝つか
これ三つより他はこれなく候』
……柳生十兵衛