これは2002年の10月に僕が発表した批判論です。
今ではすっかり「伸筋」などという言葉はほぼ死語となりましたが、代わってインナーマッスルなどの言葉が出て来ましたね。
( でも実際にこんなページもあります。http://sasaki-aiki.com/article2_118.php

合気道は「米糠三合持てれば合気道は出来る」という言葉があるように、「筋肉」の話は全く関係ありません。
合気道は運動の理屈で行うものでも説明するものでもないのです。
確かに、全く筋肉が無くなっては日常生活にも支障をきたしますけどね。
まず「◯◯の筋肉が必要」などという考えは一切捨てて臨んで欲しくて、さらに何が大切なのかを知っていただきたくて、この論文をここに掲載します。

合気道の科学

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吉丸慶雪という人が1990年にベースボールマガジン社から出した「合気道の科学」という本がある。
この本は結構売れて、合気道のみならず様々な武術関係者が読み大きな影響を与えたと思われる。吉丸氏のシリーズとして「発勁の科学」や「合気道の奥義」などという本も出版されている。
確かに氏の武術、特に摩訶不思議なものと思われがちな合気道や合気を科学的に考えようという姿勢には共感を覚える。しかし氏の一連の理論にはそのスタートの時点に大きな誤りがある。その誤りゆえに、方向性が間違ってしまっているのである。
このスタート時の誤りを指摘してみたい。

吉丸氏は合気道を科学する目標として、このようなことを掲げている。
 ① 呼吸力・気の力の本質を解明すること
 ② 合気とは何かを明確にすること

そこで氏は、その第一段階として、心身統一合氣道氣の研究会の行っている、「氣のテスト」の一つであり有名な「折れない腕」に着目し、気とは何かの自説を展開しはじめた。

合気道での気とは

現象つまり目に見える事実

引用 『気の本』藤平光一著より
「実験① Aは片腕を出し力を入れて、曲げられまいとする。Bは両手でもってAの右手を肩の方へ曲げる。Aが腕に力を入れていれば、Bが同じような力ならば必ずAの腕を曲げることができる。」
「実験② Aは右腕を出し、力を完全に抜く。ただし、自分の心の力が腕を通して、指先から遥かかなたにほとばしり出ていると考える。BはAの腕を曲げようとしても曲げることは出来ない。」

【理論あるいは考察】
引用 前同
「これを気を出す、というのである。つまり、気を出すためには、『気が出ている』と考えればよいのである。音に音波があり、光に光波があるのに、心に心波がない道理はない。気は出ていると考えれば、実際にほとばしり出るのである。」

【考察】
ここには先ず実験①で「力を入れて頑張ったのに曲げられた」のに対し実験②では「力を抜いているにもかかわらず気が出ていると考えただけで曲げられなかった」という事実(現象)が示されている。そして気は出ていると考えれば出るもので、その証拠は腕が曲げられなくなった事実であると理論づけている。
このように「気が出る」と意識することにより「気の力」を発揮することができるのだ、と合気道では考えている。したがって合気道における「気の力」は「意識する力」であり、また「心の力」なのである。
しかしこの理論は正しいのであろうか。この結論に対して時節で考察してみたい。

錯覚! 気の力
「折れない腕」の本質は伸筋の力だ

「力を入れて頑張るより、気が出ていると考えただけの方が腕が強くなった。これが気を出すということである。」
このように、筋肉の力よりも気を出した方が強い、心の力のほうが強い、というのが合気道の一派においての「気の力」の説明であった。
しかしこれは本質の誤認である。これを以下解明してみよう。
前節の実験①において、「曲げられないように腕に力を入れる」ということは、「関節を固定する」ことであり、伸筋と屈筋を同時に収縮させることにほかならない。(略)腕は屈筋肉群優位つまり屈筋の方が強いので、力一杯に関節を固定しようとすれば力は腕を縮める方向に強く働くのである。つまりAは曲げられないように頑張っているつもりであるが、実はBが曲げようとしている同じ方向に自分の筋肉を懸命に縮めているのである。したがってABが同じくらいの力なら曲がる方が当たり前である。
次に実験②で力を抜いた、つまりチカラ感覚をゼロにしたのは、屈筋の力を抜いたということである。なぜなら(略)我々は屈筋の緊張を力と感じているからである。
次に「腕を通して心の力がほとばしり出ている」と考えることにより腕の伸筋肉が伸びる(正確にいえば収縮する)のである。
腕の屈筋をリラックスして伸筋を十分に伸ばせば、これを曲げるのは難しくなる。伸筋は軽く(感覚としては)伸ばしただけで十分に強いのある。
しかし人間の腕は、(略)屈筋肉優位であるから伸筋肉を使う時に同時に屈筋を固めてしまう癖がある。
腕は伸筋だけを有効に使用するのが本質的に難しいのである。だから、「力を抜いて・・・・・・気がほとばしり出ているように考える」という手段で、初心者に伸筋のみを働かせる要領を教えているのであり、「考える」ことは初心者のための伸筋コントロールの手段にすぎないのであった。
このように、「折れない腕」の本質は人間の腕の性質。つまり強く伸ばそうとしても屈筋を同時に固めてしまうという腕の性質にあったのであり、心とか気の力と本質的に関係ないことがわかった。

といった感じで、吉丸氏は「気」なるものは「伸筋の伸張力」であるとし、その上、「呼吸力」や「合気」というものも同様の伸筋の伸張力であると、結論づけていく。

吉丸氏は佐川幸義師に大東流合気柔術の教えを受けたが、合気の修得を断念し太極拳の修行をされたとの
ことであるが、合気道というものは直接修行したことがないようである。よって彼の合気道の理解は彼の脳内の産物でしかない。
また人間の腕の性質について語っているが、それも彼の感じ方というものでしかない。
この後、彼は柔道や剣道や日常の動作を例にあげ、日本人は緊縮文化であり特に屈筋が優位であるが、他の民族は伸張型だと説をとなえている。
それならどうして合気という技術が日本人以外、特に西洋人などの間で生まれなかったのか、生まれないまでにしても西洋人は素質的に合気に向いているのか、という疑問が当然に起こるはずである。
今や日本人よりも外国のほうが合気道人口が多い現状においても日本人以外の外国の人の実力の程度がどれほどのものか、合気道を実際にやっている人などは知っているはずであろう。
圧倒的に日本人のほうが上である!
この事実で吉丸伸筋理論が間違いであることは明白であるが、僕の「折れない腕」および「気」の理論を紹介して、さらに吉丸理論の間違いを指摘しておこうと思う。

もともと図のように手を縦にするとなかなか腕は曲がらないものです。
そのままの形では横にしか曲がらない。
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そこで肘の関節を上に向け、それから曲げるという作業に入ります。
腕を曲げる方は、まずはこれに気がつくことが大事です。
2

一応、氣のテストではこういうやり方はしませんが、理屈がわかれば、
別にこれでやっても同じです。
3

まず腕を曲げるには、肘の関節を中心にして手首の方を、肘を中心に
する弧を描くように動かすやり方が一般的です。
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後は、肘関節を下に押し下げて手首を肩に近づけるやり方、
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そして手首側を固定して、体ごと崩してくるやり方があります。
この3つのやり方のいずれかを上手く使わないと、腕は曲がりません。
6

そしてこの3つに共通する当たり前の原理は、
「肩と手首の距離を縮める」ということです。
逆に言えば、この距離さえ守っていれば絶対に腕は曲がりません。
アホらしいくらい当たり前のことです。
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力が入るということは、まず肩が固定されます。
次に肘関節も固定されます。
相手が固定するのではなく、自分で固定してしまうことになるのです。
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また肩や肘だけでなく、上体や下半身まで固まってしまうと、
このように前に崩されることになります。
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万物を動かすには絶対に、中心なり基点なりが必要です。
また人は何かを基点にしてそれを基準に運動線を想像し、それから行動を
起こします。
これは意識無意識にかかわらず、みんながやっていることです。
だから、相手の想定した中心なり基点なりがずれてしまえば、力の方向が
変わってしまい、そのものを動かすのに有効でなくなります。

それは以下のような持ち上がらない体でも同じ理屈で説明出来ます。
物体を持ち上げる時は、まずはその物体を持ち上げることの出来る位置に
手をかけ、どのくらいの重さをどの距離持ち上げるかを無意識のうちに計算
してから持ち上げます。また物体の形状によっても、力の入る位置などが変
わります。その計算がくるうともう持ち上がらなくなります。
人間の頭は通常は必要以上の力の分だけしか体に指令を出しませんし、体
のバランスを崩すような無理をしてまで力を出させません。
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柔道でもレスリングでも相撲でも、投げられないようにするために腰を落とすと
いうくらいのことは誰でも知っています。別に体重が重くなるわけでもありません。
相手が持ち上げようとした瞬間に腰を落とせば、相手の想定した重心の位置が
変わります。と同時に形状が変わり、持ち上げることの出来る立ち位置も変わっ
たりします。だから投げづらくなるのです。
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リラックスや脱力ということは、固い塊でなくなるということ。
固体は基点や中心や重心の把握もしやすいし、それらがあまり動かない。
だから腕も曲げやすいし、体も持ち上げやすい。
逆に柔体は、基点や中心や重心が捉えにくく、動く上に形状まで変化する。
だから最初の予測が狂い、それを修正してまた予測を立ててもまた狂う。
これらの理屈を応用して、それをいろんな場面で活用していけばよいのです。

折れない腕でいうならば、相手の力の入らない位置で腕を取らしたり、曲げ
ようと力を入れる瞬間にちょっとずらしてやればいい。
合気道では、こういうことを使って楽に相手を動かしたり技を掛けたりしている
のです。
また大東流の合気、特に力抜きと言われる技法も同様です。
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まとめとして

リラックスや脱力が必要なのは、腕よりもむしろ体の部分。
自分の体のバランスを保つこと。
そして相手の予測を裏切り、相手のバランスが崩れるように誘導し維持し
てやればいい。
伸筋などは、一切関係ありません。
技などは、相手に触れないでも掛けることも出来ます。

吉丸伸筋理論は、自分の体のことにしか目が行ってないのでしょう。
合気とは自他の関係の上に成り立つ技術です。
昨今の身体論も、同じような過ちに陥っています。
いくら身体が動いても、相手を考えない術は、武術として通用しません。