「段取り八分仕事二分」という言葉がある。段取りとは物事を行う順序や手順やその準備のことであり、会社で言えば事業計画でもある。
銀行だって事業計画を見て金を貸すか貸さないか決めるのである。
ゆえに、段取りをしないで始める行動や仕事はほとんど失敗する。アドリブが効くのはラッキーでしかない。
段取りを用意と言い換えてもよいかも知れない。用意とは前もって必要なものをそろえたり準備をしていくことだが、用意がしてあれば慌てずに済む。

太極拳には「用意不用力」という言葉がある。日本語の用意とは少し意味が違うのだが、用意が出来ていれば無駄な力を使わずに済むし苦労も少ない。
武術に絡めて言えば、技が掛からないのは、八割が段取りが悪かった用意が出来てなかったからであると言える。
段取りが悪いから筋力が要るようになるのである。
戦争においては「勝ってから戦え」という言葉がある。剣においては「打って勝つな、勝って打て」という言葉がある。
銃でも狙いをつけてから撃つものである。
柔道でも作ってから崩す。
作るとは、崩すための条件を設定するということである。
整えた条件設定にしたがって、つまり用意・段取りに従って、以降の行動を滑らかに行うのが型練習である。
コンビニやチェーン飲食店などの営業は、ほとんど型練習にあたると言ってもよい。
たとえ食材があって調理機器があっても、メニューにない商品は出せなかったりする。
ハンバーガー屋のベテランバイトでも、会社が変わればあるいは店舗が変われば、即戦力にはなれなかったりするわけである。

何年何十年と修行しなければ、一般人に通用する技が掛けられないという武道武術もある。
同じ道場内の後輩にしか掛けられないという人もいる。
そういう人は、自分の道場での型練習以外にしないからである。
あらかじめ用意された段取りに従っての練習しかしないからである。そして練習の修練度が高いほど、他の行動をする時の支障になる。
頭と体が勝手に動くからである。動き出してから「こんなはずじゃなかったのに」と戸惑い、やがて慌ててパニクることになる。

毎度毎度、同じ道場で、同じ相手に、互いに同じ目的で体を動かし合うのなら型練習でよいと思う。
しかし街に出て、見ず知らずの人間に対応しなければならなくなった時、型練習だけでは通用しない。
では他の道場や他武術や、あるいは街場の喧嘩などで手を交え合っての経験を積まねばならないのか?
まあ多少はそういうこともなければと思うが、そんなに量が必要なわけでもない。
いつも道場でやっている型練習に持ち込める「段取り」が出来る能力がつけばよいのである。
「型に嵌める」能力である。
もちろん簡単に出来ることではない。
様々なものを観てたくさんの知識を得なければならない。
会社で言えば経営者の能力、軍隊で言えば将軍の能力、国家で言えば政治家の能力である。

確かに難しいことではあるがその能力を得ない限り、常に他人にそして自分の頭と体に従わざるを得ないただの兵卒である。
兵卒のほうが楽なことも多い。自分で考えなくてよいからな。
ただ自分で考える頭がないということは、親ガメこけたら皆コケるということ。
この国の豊かさや安全・安心がずっと続けばよいけれど。
子ガメ孫ガメの兵卒から脱したければ、「稽古」をしなけばならん。

僕は合気道を始めるにあたって、「型は習って忘れろ」「単なる反復練習ではない」と教えられた。
そして「型を破り、型を創造しろ」と教えられた。
「それこそが型稽古である」と。
「守破離」であると。