僕は稽古ではほとんど褒めません。
いや褒められない。
これは結構切実な問題です。
今のご時世、褒めないと人が増えないということは重々承知していますから。
でも、ウソをつくわけにもいかんでしょう。

いやべつに、武道の先生で人を褒める人のことをウソつきと言ってるわけではありません。
本気で褒めている先生も多いと思います。
でも僕はそれが出来ない。

「ウソでなく人を褒められる人は幸いである」

と真剣に思います。
そろそろ真面目に考えないといけない問題です。

合気道の稽古法は一応「型稽古」に分類されます。
「型稽古であって型稽古でない」という言葉もありますが、一般にはそんなことは知られてないし、僕も型稽古と言います。
が、本当は「組手」だと思ってます。
初心者のうちは「約束組手」ですが、上級になると自由度の高い組手に移行するべきもの。
有段者になると「乱取り」や「多人数掛け」もあります。
大方の道場が普段ほとんどしないだけでね。
組手となると決まりきった「カタチ」では対応が出来ません。
その場その時で適宜に変化しなければなりません。
それでも「カタ稽古」と言うのであるから、カタとは単なるカタチのことではないと僕は考えました。
カタとは何か。それは「コトワリの表れ」のことではないか。
たとえば心の表れが言動や行動です。だからそれらを見れば心が見える。
カタ稽古とは、カタを通してコトワリを学ぶということではないか。
そういう考えで僕は十数年やって来ています。

だから僕の教えを受ける人には突き蹴りもやらせるし試合にも出します。
コトワリがわかっているかを観るために。
カタチだけなら三次元の世界です。
三次元のことなら合気道程度の動きは、練習さえすれば誰でも出来るようになります。
熱心に練習してカタチを正確に再現出来るようになれば褒めてやれる。
ところがコトワリということになると、三次元以外の要素が入って来ます。
心と間です。
間とは時間、つまりタイミングのことと理解してもらって結構です。
そして組手や試合には明らかな結果が出ます。
勝ったか負けたかです。
「合気道に勝ち負けは無い」とよく言われます。
確かに合気道に勝ち負けは無い。
合気道には勝つこと以外に無い。
正勝吾勝勝速日ですからね。
しかしそれは、「真の合気道には」の話です。
真の合気道に到達出来ない凡人は、勝った負けたの世界から逃れられないのです。
だからカタ稽古にも勝った負けたがある。
負けた奴を褒めるわけにはいかんでしょう。
今の大人達はたぶん褒められて育った人達が多いんでしょうね。
褒められて育った人達が日本をこんな情けない国にしてしまったことを自覚してない。

でも試合があるなら勝ち負けがありますから、それがはっきりした「ダメだし」や「ツッコミ」になります。
フルコンなんか練習から痛いですしね。
肉体的なダメ出しは有効でしょう。一種の体罰ですから。(笑)
そして試合で勝てば褒めてもらえるわけだから、普段から褒める必要は無いと思います。
ところが合気道の場合は相手に痛みを与えちゃいけない。
だとしたら口でツッコミするしかないと思うんですよね。
じゃあ褒める時はどうしたらいいのか。
中年壮年老年の人たちをいつまでも試合に出すわけにはいきません。
さあどうしましょうか・・・?